図書室あと地

褪せた灰桃色のカーペット。

もしも、君にもう一度どこかで会えるとして、

こんな風に生きてきたよ、私なりに頑張ったよ

あのときはありがとう、そしてごめんねと

ちゃんと伝えることができるように、ちゃんと生きていこうと決めた

13年くらい前になるか もうありえないことかもしれないが

これからの私はどうしたらいいんだろうか

 

 

 

誰かが辛いとき、

そばにいられたらラッキーで、

助けになれることは稀で、

救えたとしたら奇跡に近い。

だから、ありがとうもごめんなさいも愛してるもさよならも、言えるうちに、伝わるうちに。

 

でもあのとき伝え損ねた、ありがとうやごめんなさいや、大好きだよやまた会おうねが

私を今の私にしていたりもする

 

あまりにも答えがないね、

今の生き方は、なにか壮大な自傷行為のようだと思うことがある

 

私の場合、充実して生きるためにはどうも支えがいるらしい

新しい服を買う理由、メイクを工夫する理由、健康に気を使う理由 できるだけ綺麗であろうとする理由 スキルを上げようとする理由 あらゆる努力をするには理由が必要

それがなければ何もする気にならず、ほんとうにただ生きているだけ、という状態に余裕でなれてしまう

理由というかモチベーションか

どこへも向かわない自分の未来はあまりにも渇ききっていて、本当に生きている意味が疑わしくなってくるから

とにかく私はどうにかして、今の状態ではない私を目指さなければいけない、そんな気だけがじりじり焦げている

 

やりたいことが苦しいけれど 多分やりたいことだからしがみつく それを手放したらまた支えを失うから

今取り組んでいることは、十中八九どころじゃない 十中九割八分九分は結果につながらない

ただ目指す間は、私はなりたい自分に向かって努力ができる

私は廃人に成り下がりたくなくて、それをひとつの理由にして今の状況にしがみついている

ただ、結果にならないかもしれないもののために心身を削って頑張る必要性はわからない

それでも、何もしない空っぽな自分に戻ることが怖いと思うから

自分を磨いている、ときどき痛めつけているような気になりながら

 

楽しくないわけじゃない、と思う

週末から月曜日にかけてはとても気分が良くなる

ただし反動も大きい

火曜には勝手に気分が落ちるとわかっているのに、何故か月曜の夜に病んでいる他人の動画を自分から見漁ってしまったり

水曜日くらいからもう土曜日が憂鬱だったり

逆にサザエさん症候群はすっかりなりを潜めている

月曜日はだいたい一番気分がいい

 

 

破壊衝動の歌がぴったりはまる心持ちだ

火曜日あたりから頭にくり返し流れる言葉たち

「人生は妥協の連続なんだ そんなこととうにわかってたんだ」

(この歌はあと80字 人生の価値は終わり方だろうから)

 

藍二乗 爆弾魔 思想犯 強盗と花束 又三郎

このあたりをきいていれば週の中盤まではテンションを保てる

木金あたりはいよいよ何聴いてもだめだったり

 

 

人生とはむこう50〜60年の暇つぶしで、私はその空白を埋めるものがなくて困っている

だから向こうから「終わりだよ」と言ってくれたら、それならそこで終わりでいいな、と思う

 

とはいえ「そういうことなら」と誰かが私を死なせようとしたら、その時はどうなんだろう

生きるモチベーションは低くても、死ぬモチベーションもこれまた低い

死ぬ気はないから、車通勤を怪我なく生きて繰り返している

 

生きることは苦しいこと、死ぬことは怖いこと。

 

 

どうして大学生の頃までは、向上心だけで生きていけたんだろう

今日より明日、自分が良くなればちゃんと報われるとでも思っていたのか 未来が見えてなかったからか

 

今はなまじ、このままいくとどうなるかわかってしまうから憂いのかもしれない

 

今の場所での仕事は楽しくて、とても楽しくて、仮にこのまま続くとしたら別にこんなに血迷わなくていいのだが

絶対に続かないのだ 私の意思に関係なく突然終わるのだ

仕事に注力しても、いいとこまで行ったら取り上げられるだけ

仕事をアイデンティティに加えてはならない

この感覚が他人にわかってたまるか

(100年経てば誰でも骨だ)

 

4回だ、4年目にして4回の異動

振り出しに戻るを踏む絶望がどんどん軽くなる

まぁ後半は出戻りみたいな異動だが

私は色んな部署へコロコロ移れる代わりに、どの部署も私がいなくても何の問題もなく回る

私の仕事というものは何処にもない

いや別に、誰が抜けても会社というものは回っていくだろうけど

ちゃんと実感できると、色んなことがどうでも良くなる

どうでも良くなると人に振ることに抵抗がなくなって、結果効率が良くなったりね、皮肉だ

管理職に必要なのは、仕事へのほどよい幻滅のような気がする

私がやってもしょうがないんだよなぁ、という感覚

仮にちゃんとならなくてもしょうがないや、という諦め

 

長いな、

この間日報に

【「この生活を続けたら死ぬ気がする」とクラスメイトが言っていて、私だけじゃないんだなと思った】

みたいなこと書いたら割と心配されたようだった

私にとってはどちらかというと生きる気力が湧いた出来事を書いただけなので、そんなに変なこと書いたかなぁという気持ち

 

だってそうやんね

心身がいかれているというのは前々からの事実で、

私だけじゃないというのが新しい気づき

 

何か持ちすぎているのはわかっており、何を捨てたらいいのかを考えている

そんなとき、何かを持ちすぎている人が周りの仲間にもいたら、なんだか励まされるじゃないか

カラフルな(に見える)生活のこと、なりたい自分、ときめきの話。

 

2人、ということのパワーはすごいんだなと思った。

趣味や嗜好の幅が広がる。共通なら深まる。掛かってる音楽とか、ラグとか壁掛けのデザイン、ゲームとか、置いてる調味料の種類とか。

とってもカラフルに見える。見えない見せない部分はあれど、2人で力を合わせて作っているんだなとわかる暮らしは、もし私が家庭を持てるならこんな風でありたいと思うものだった。

 

理想の2人、なんて言ったら失礼なんだろうな。カラフルな時間があればモノトーンな暮らしもあり、泥臭い寒々しい場面だって抱えている。と思うから。

その上に立っているきれいなところだけ見て、羨ましいなんて言うのは傲慢なのかもだ。

 

今ある生活を楽しんで、幸せに生きていくことを選んでいるひとは何だか眩しい。

私は今の環境に危機を感じて、今の自分が好きではなくて、このまま枯れてたまるかと、何とかかんとかもがいてしまう。

今に満足しながら、少しの「足りない」をだんだんと揃えながら生きていくのもありなはずで、そうやって生きている人もいる中で、なぜ私は。

破壊と創造みたいな、0か100かみたいな生きかたを選んでいるんでしょうか。

 

服の嗜好も音楽の趣味も、お気に入りの過ごしかたも、何に時間を使うか、どんな自分になるのか、あらゆることについて、

私はこうしたい、が結局見つかっていないこと。

人間性を育てるはずの思春期に、人間をサボってしまったツケ。

そういうものが廻ってきているんだろうね。

 

今は砂漠の真ん中にいて、立ち尽くせば間違いなく枯れる、だから進むものの、前がどっちか本当はわかっちゃいない。先がまともに見通せない中、歩くのも苦しい。

『砂漠の果てに咲く花』

なんて、植田真梨恵はよく言ってくれた。

 

https://g.co/kgs/KWZ2Px

 

 

さて、なりたい自分をかなえる手段としてのときめき、なんて邪なことを考えた。

周りの爛れたような話だったり、甘酸っぱ!な話を聞くにつけ、

私が今なにを思っても何の意味もないけれど、「恋をすると可愛くなる」部分だけ、しれっといただいてしまおうか、なんて。

恋を莫迦にすると痛い目を見るかね。

そんなことをしてでも、私は進んで行きたいのです。

ここじゃないどこかへ。

この願いにいつまで呪われつづけるんでしょう。

そうそう 私は今おおかたの人間を見下している

自覚があるので書き残していく

 

どこにある気持ちも きれいなものがない

 

日常はおろか 夢や希望までうすぎたなくて

それを改める気持ちも起こらない

 

やっぱり半年くらい冬眠したかった

生きることに対するやる気の低下

それに尽きる 逃走用のアドレナリンも切れてきた

結局逃げきれてないし

 

足掻いているのは、今のまま生きることに耐えられなかったから

働いて、休日は乾物みたいにじっとして

おしゃれとか、必要がないのでする気も起きない

メイクもいいや

会いたい人は昔からの友人 それもごくたまに

ほしいものは特になし

時々カラオケに行って、誰もきいてくれない歌を歌って

そういう 枯れたみたいな生き方がいやで

そしたら突然 道が分かれているのが見えた

だからそっちへ、進んでみようと思った

 

そのため、どうしても叶えなきゃいけないことは

相変わらず何ひとつ持ってない

別に投げ出してもいいといえばいい

また生きることに絶望するけど

そこから逃げるには夢がいる?

 

 

アイデンティティの瓦解 と書いて異動と読みます

逆かな どっちでもいい

みんな3年間で3回くらい経験してみればいい

自分というものが割とどうでもよくなる

 

テンションがさ

仕事上合わせなきゃいけない誰とも合わず

どこもかしこも いや居心地

合わせる気がなくなった私がたぶん悪い

いつからここまで性格が悪くなったかな

できればいい人間になりたくて 7年経ったらしい

諦めどきか

生きていけるんだろうか

 

はあ 滑舌

他人に優しいあんたにこの心がわかるものか

だって近くにいたって誰もちゃんと見てはくれず

手を伸ばし抱き止めた激しい光の束

そんな器用に ああ 生きられない

 

だから私は普通に生きることを諦めた

 

 

いつか今の会社を辞めて転職するんだと思っていた

3年目の異動があって1年 この1年がもし普通に過ぎてくれていたら 思い描いた路線はきっと変わっていなかったんじゃないか と思う

 

 

春、歌を辞めた

夏、車の中でヨルシカの思想犯ばかりきいた

角を曲がった秋、スカートを切られた月曜日の朝、弦楽器の音は悲鳴に似ている

起きて戦えと誰かが言った

冬、退勤後に歌って帰った夜明けの孤独

 

 

心が蘇生して気がついたとき、仕事以外の余白に何もなかった

なんとなく欲しかった普通の幸せに、手を伸ばすことも怠く

ヨルシカの歌をききながら映画館の街を歩いた

ひとつだけ観たい映画を決めて

 

残りわずかな座席で前側のチケットを買って

ひとりの女の子が壊れる映像を受け取りながら、呼吸をすると背中が痛かったのをちゃんと覚えている

わかるな、という感覚は錯覚かもしれないけれど、そこが曲がり角だったのは間違いない

映画終わりに食欲を失いながら食べたハンバーガーがまた、おいしかった

 

結局同じ映画を3回観た

予告で観た映像と台詞と歌が気になって、別の映画も観に通った

平日は会社、休日は映画館

そんな生活をしているうちに、少しずつ腹が決まっていた ように思う

 

人生の何かを諦めていなければこんな決断はしない

普通に生きて、なんとなくの希望に向かってそれなりにエネルギーを使って、普通の範疇にある小さな幸せを叶えていく

そういうことができない だから諦めた

もし目指し続けていたら、何もできないまま時間とともに枯れて死ぬような気がした

 

こんな日々も何かになったらいいね

もし何にもならなくても、ずっとぼーっとしているよりはマシだと信じている

語り口のいい文章を書きますね。

「語り口のいい文章を書きますね。大学に入ったら小説でも書いてみたらどうですか」

 

大学進学の進路報告書をメールで送ったとき、高校の進路指導の先生は私にこんな返事を書いて寄越した。

あの人は私なんかにどんな物語りができると思ってくれていたんだろう。

 

ごめん、ミスターアルパカ。まだ一つとして形にしないうちに私は、こんなだ。

尤も、あなたはもう私にそんな言葉をかけたことも覚えていないだろうね。

 

「頭いいね」「物知りだね」「声かわいいね」

そんな褒め言葉たちが、正直言うと嫌いだった。

だけど私の文章をいいと言ってくれたその言葉は、今でも一言一句忘れず憶えているくらい、嬉しかったのに。

今だって未練だ。書きたいことなんてわからないのに。

 

なきごとを書きたいわけじゃない。正しい言葉とマナーで、だれが言っても同じようなことを書きたいわけでもない。

校門脇の木の下で羽化したばかりの蝉が白いまま死んでいた。そんなことを言っても誰も振り向いてはくれなかった。でも、どうせならそんなことを選んで書きたい。わからないでいい、わかって堪るかと思いながら、そんな言葉が実は伝わってしまうことも知りながら。

 

 

"疲れた。生きている意味が見えない。がんばってもがんばっても「がんばりましょう」しか貰えない。戦って前に進むその先に欲しいものは何もなかった。それなら何が欲しかった?"

こんなことはあまりにも剥き出しだ。物語りくらい、報われる努力と叶う願いの夢が見たい。

 

"ノエラ。君の目はなんだかさびしかつた。だから何処かへ行つてしまつたんだらう。そんな目をぼくは好きだつた。さういう目をみると、今でも心を離すことができない。"

嘘ではないが今の心にはない言葉だ。これを書いて何の意味があるだろうか。

 

 

この世界は空の底だ。溺れていることに皆んな気づかない。

風の強い日は、どこかで世界が変わるのだと思っていた。千尋が迷い込んだときも風が吹いていたように。

わかり合えてしまう言葉なんかいい加減だ。

心の形に言葉を当てろ。そんなきれいでたまるか。