図書室あと地

褪せた灰桃色のカーペット。

今の生き方は、なにか壮大な自傷行為のようだと思うことがある

 

私の場合、充実して生きるためにはどうも支えがいるらしい

新しい服を買う理由、メイクを工夫する理由、健康に気を使う理由 できるだけ綺麗であろうとする理由 スキルを上げようとする理由 あらゆる努力をするには理由が必要

それがなければ何もする気にならず、ほんとうにただ生きているだけ、という状態に余裕でなれてしまう

理由というかモチベーションか

どこへも向かわない自分の未来はあまりにも渇ききっていて、本当に生きている意味が疑わしくなってくるから

とにかく私はどうにかして、今の状態ではない私を目指さなければいけない、そんな気だけがじりじり焦げている

 

やりたいことが苦しいけれど 多分やりたいことだからしがみつく それを手放したらまた支えを失うから

今取り組んでいることは、十中八九どころじゃない 十中九割八分九分は結果につながらない

ただ目指す間は、私はなりたい自分に向かって努力ができる

私は廃人に成り下がりたくなくて、それをひとつの理由にして今の状況にしがみついている

ただ、結果にならないかもしれないもののために心身を削って頑張る必要性はわからない

それでも、何もしない空っぽな自分に戻ることが怖いと思うから

自分を磨いている、ときどき痛めつけているような気になりながら

 

楽しくないわけじゃない、と思う

週末から月曜日にかけてはとても気分が良くなる

ただし反動も大きい

火曜には勝手に気分が落ちるとわかっているのに、何故か月曜の夜に病んでいる他人の動画を自分から見漁ってしまったり

水曜日くらいからもう土曜日が憂鬱だったり

逆にサザエさん症候群はすっかりなりを潜めている

月曜日はだいたい一番気分がいい

 

 

破壊衝動の歌がぴったりはまる心持ちだ

火曜日あたりから頭にくり返し流れる言葉たち

「人生は妥協の連続なんだ そんなこととうにわかってたんだ」

(この歌はあと80字 人生の価値は終わり方だろうから)

 

藍二乗 爆弾魔 思想犯 強盗と花束 又三郎

このあたりをきいていれば週の中盤まではテンションを保てる

木金あたりはいよいよ何聴いてもだめだったり

 

 

人生とはむこう50〜60年の暇つぶしで、私はその空白を埋めるものがなくて困っている

だから向こうから「終わりだよ」と言ってくれたら、それならそこで終わりでいいな、と思う

 

とはいえ「そういうことなら」と誰かが私を死なせようとしたら、その時はどうなんだろう

生きるモチベーションは低くても、死ぬモチベーションもこれまた低い

死ぬ気はないから、車通勤を怪我なく生きて繰り返している

 

生きることは苦しいこと、死ぬことは怖いこと。

 

 

どうして大学生の頃までは、向上心だけで生きていけたんだろう

今日より明日、自分が良くなればちゃんと報われるとでも思っていたのか 未来が見えてなかったからか

 

今はなまじ、このままいくとどうなるかわかってしまうから憂いのかもしれない

 

今の場所での仕事は楽しくて、とても楽しくて、仮にこのまま続くとしたら別にこんなに血迷わなくていいのだが

絶対に続かないのだ 私の意思に関係なく突然終わるのだ

仕事に注力しても、いいとこまで行ったら取り上げられるだけ

仕事をアイデンティティに加えてはならない

この感覚が他人にわかってたまるか

(100年経てば誰でも骨だ)

 

4回だ、4年目にして4回の異動

振り出しに戻るを踏む絶望がどんどん軽くなる

まぁ後半は出戻りみたいな異動だが

私は色んな部署へコロコロ移れる代わりに、どの部署も私がいなくても何の問題もなく回る

私の仕事というものは何処にもない

いや別に、誰が抜けても会社というものは回っていくだろうけど

ちゃんと実感できると、色んなことがどうでも良くなる

どうでも良くなると人に振ることに抵抗がなくなって、結果効率が良くなったりね、皮肉だ

管理職に必要なのは、仕事へのほどよい幻滅のような気がする

私がやってもしょうがないんだよなぁ、という感覚

仮にちゃんとならなくてもしょうがないや、という諦め

 

長いな、

この間日報に

【「この生活を続けたら死ぬ気がする」とクラスメイトが言っていて、私だけじゃないんだなと思った】

みたいなこと書いたら割と心配されたようだった

私にとってはどちらかというと生きる気力が湧いた出来事を書いただけなので、そんなに変なこと書いたかなぁという気持ち

 

だってそうやんね

心身がいかれているというのは前々からの事実で、

私だけじゃないというのが新しい気づき

 

何か持ちすぎているのはわかっており、何を捨てたらいいのかを考えている

そんなとき、何かを持ちすぎている人が周りの仲間にもいたら、なんだか励まされるじゃないか